京都へ行ってきました。
初・京都です。
私、関東住まいなのに、見事に修学旅行とかで一度も当たらなかったんですよねー…
大河ドラマの「新選組!」にハマって以来、いつか行きたいと思っていたのですが、先伸ばしにしてたらいつの間にか「歴女」なんて単語が生まれたりしてちょっと複雑な気分ですが…
まぁ、大河きっかけも充分ミーハーというかにわかだけどw
そんなこんなで、5年越しの念願かなって京都へ初上陸!
初日はベターに、一人で新撰組巡り。
まずは四条大宮駅からほど近い光縁寺へ。
新撰組総長・山南敬助が眠っています。
恋人の明里と連れ立って脱走を試みたものの、結局捕まってしまい、最後は切腹で亡くなります。
大河の「新選組!」では、「山南さん」という人をものすごく美化しているようで、(近藤も美化してるけど)この切腹の話は、史実になぞらえながらもだいぶ曲解した流れになってるんですが、ここはほんともう涙なしじゃ見られません…。
近藤と土方が肩を抱き合って山波の死に涙を流すシーン…
先に涙を流すのは近藤だけど、先に声をあげて泣くのは土方なんですよねぇ。
余談ですが、「山南」は「やまなみ」というのが普通ですが、実は「さんなん」なんじゃないか、という説もあります。
沖田総司にしても「そうじ」なのか「そうし」なのか、という話ですが、これは「そうじ」が正しいです。
当時は名前の漢字というものをあまりきっちり書く風習がなかったんですね。
例えば私の場合、「アキヤマ」→「秋山」と書くのが普通でも、「明山」と書いてもOKだったわけです。
「とりあえず読みが合ってりゃいいんじゃね?」って風習だったそうで。
で。沖田総司の場合、「総二」と書かれている文献が残っているらしいのです。
近藤勇の場合は、「いさみ」というのが一般的ですが、「いさむ」という人もおりますね。
これはどちらが正しいかちょっとわからない。
お次は壬生寺へ。
ここには、壬生浪士組(新撰組の前身)の筆頭局長・芹沢鴨と、芹沢と一緒に粛清された平山五郎、勘定方・河合耆三郎、その他隊士数名が眠っています。
河合は隊律を破ったとして切腹させられました。
芹沢と平山は、壬生浪士組を預かっていた会津藩主・松平容保から暗殺命令を受け、沖田総司や斎藤一らによって殺されました。
壬生寺と目と鼻の先にある八木邸へ。
ここは、新撰組が壬生浪士組結成以前からお世話になっていたお宅で、長らく屯所となっていました。
内部を一部公開しています。
残念ながら中は撮影禁止でしたが、芹沢暗殺当時、芹沢がつけたとされる刀傷などばっちり見てきました。
ガイドさんいわく、八木家の次男がその芹沢暗殺の現場をばっちり目撃していて(普通に寝てるところに芹沢が逃げ込んできてドンパチやってたらしい)、司馬遼太郎はこの次男の方から直接当時の話を伺ったそうです。
だから「燃えよ剣」などの新撰組関係の小説において、芹沢鴨暗殺の描写が事細やかに描かれているんだとか。
「中はほとんど当時のまんま」とのことでした。
芹沢暗殺現場でもあるので、返り血がひどかった箇所はさすがに改修されたとのことですが…
でも、そことは別に、
コンセントがあったんですよねぇ…
これっていつ付けられたものなのかしら…
お土産屋さんになっているこの場所は、かつては近藤勇らが寝泊まりしていた場所だったんだとか。
ちなみに拝観料は、ガイドとお茶とお菓子付きで、1000円です。
おいしゅうございました。
お土産屋さんのなかには、大河ドラマ「新選組!」のポスターが。
コレ、はじめて見たなぁ。
深雪太夫(優香。近藤のお妾さん)がセンターなのにはちょっとびっくり。
ちなみにこの「新選組!」での優香はホントに素晴らしかったです。
儚げで凛とした深雪太夫と、快活なお孝(姉妹)を見事に演じ分けてました。
彼らが実際にここを通っていたんだなぁ…と思うと、なかなか感慨深いです。
それから、ずーっと南下していき、西本願寺へ。
ここは、二番目の屯所になったところです。
八木邸が手狭になってきたとき、お向かいの前川さんちも間借りしはじめた浪士組ですが、それでも足りなくなってきてしまい、西本願寺へ居を移します。
(ちなみに前川邸も残っていますが、非公開)
まぁ、当時の西本願寺の人々は迷惑千万だったらしく、後に屯所を移るときは「よっしゃー」と言わんばかりに金の工面をしてあげたりしてたそうです。
大河の「新選組!」では、あまりここでの生活は描かれませんでしたが、
「壬生義士伝」という映画では、初っ端にこの辺り↑だと思われる場所が登場します。
ちなみに「壬生義士伝」で斎藤一役をやった佐藤浩市さんは、「新選組!」では芹沢鴨役を、
沖田総司役をやった堺雅人さんは、山南敬助役をやってます。
「壬生義士伝」の斎藤一は大河(オダギリジョー)とは印象がだいぶ違ってて、あとから見た私は「つかこれ芹沢じゃね?」なんて思ったりもしましたが、非常におもしろい映画でした。
実は新撰組最強だったんじゃないかといわれている吉村貫一郎が主人公の話です。
演劇集団キャラメルボックスの「風を継ぐ者」という舞台も、新撰組好きとしては見逃せません。
こっちは、立川迅助という平隊士が主人公の話で、DVD化もしてます。
上川隆也の土方がかなりハマってました。
更に南下していき、油の小路へ。
元新撰組参謀、後の御陵衛士・伊東甲子太郎が、局長・近藤勇の妾宅からの帰宅途中に殺された場所です。
闇討ちしたのは新撰組の沖田・斎藤・永倉ら、試衛館時代からの新撰組隊士。
この道場時代からの同士であった藤堂平助が死んだのもこの通り。
藤堂は、もともと伊藤道場の門下生であったため、伊藤が離反する際にそっちへついていきます。
この油の小路の変では、永倉らが密かに藤堂だけは逃がそうと画策するのですが、そんなことをしらない隊士に殺されてしまいます。
ちなみにこの藤堂平助、
伊勢国津藩主・藤堂高猷の隠し子であったんじゃないか?という説があります。
あくまで「噂」程度な話ですが。
津藩お抱えの刀工の刀を、藤堂平助が所有していたこと。また、一介の浪人がそれを所有できるほど安価なものではなかったことなどから、可能性は高いとされています。
これは、大河「新選組!」においても語られています。
平助が自身の出生を聞かれた際に、「母から聞いた話で、本当かどうかはわからない」という論調で語ります。
あと、平助は美男子だったそうです。
フィクションの世界ではどうしても沖田が目立ち、「美青年剣士」なんて言われてますが、これは司馬遼太郎の描く沖田がやたらと「かわいらしい」「整った顔立ち」などと形容されるためで、実際はあまりかっこよくなかったそうです。
(土方と沖田が仲良しさんな設定も、司馬先生のオリジナルフィクションで、実際に仲が良かったかもしれないけれど、そういった記録は残されていないそうです)
油の小路を出てすぐのところにホテルがあります。
新撰組の三番目の屯所となった、不動堂村屯所跡地です。
いい天気です。
…が、このあとお昼休憩をとったら大雨が降りだしました。
すぐ止んだものの、それからはずっと降ったり止んだりでちょっと残念。
午後はまず、烏丸線十条駅へ出発。
通称「銭取橋」へ。
正式名称は「勧進橋」。
武田観柳斎が斎藤一に殺されたのがこのへんだそうです。
微妙な天気です。
ってゆうか雲が近いですねぇ。
せっかくなので、任天堂本社もちらっと見てきました。
銭取橋から結構近いです。
京都在住の友達は支社だと思ってたそうで。
たしかにでかいけど「本社」って感じしないかも。
電車で桃山御陵へ移動。
御香宮神社へ。
ここには戊辰戦争の戦死者の碑があります。
戦死者名簿もあり、そこには新撰組24名の名が載っているそうです。
あと、「御香水」という湧き水があります。
地元の人たちが大量のペットボトル持参で列をなしてました。
私も1.5リットルほどお持ちかえり。
桃山御陵の駅前にはでっかい鳥居がいきなりドーンとあって、ちょっとびっくり。
ってゆうか車通るのに邪魔じゃないのかな?w
桃山御陵駅から徒歩で伏見桃山駅へ乗り換え。(近い)
伏見桃山駅からみえる看板にマリオが…
さすが任天堂の聖地…ってことなのか?
伏見桃山から2駅くだり、淀城跡へ。
いまは公園になってますが、若干名残があります。
淀藩は譜代のなかでもかなり大規模で、最後の藩主・稲葉正邦は老中を二度も務める(異例なことです)など、徳川の信頼も厚かった模様。
が、稲葉が江戸で将軍(第十四代・徳川慶喜)の留守を守っている間、淀藩家老の田辺が、鳥羽伏見の戦の折に勝手に薩長に寝返ってしまいます。
この裏切りのせいで幕軍は更なる敗走を強いられたそうな。
当時江戸にいた稲葉正邦はまさに寝耳に水状態。
「ちょ…wなにしてんの勝手にww」って感じだったんではなかろうかと。
この稲葉と田辺、相当に仲が悪かったらしく、衝突することも多かったそうです。
稲葉は佐幕急進派で、一方田辺は穏健派でした。長州征伐の折には「出兵する・しない」で揉めて、結局、断固反対していた田辺の勝利に終わったそうですが。
この幕末での一幕でも、田辺大勝利で終わっているというのが、なんとも言えませんね。。
その後も稲葉は朝廷・新政府に恭順したままで、「裏切りものの犬」というレッテルを甘んじて受け入れる結果に。
新撰組とはあんまり関係ないんですけどね;
おまけ
公園にいたノラネコ。
こんな感じでとりあえず1日目終了。
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