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ゲームの話やら改造の紹介やら。更新停滞中。ゲームタイトルカテゴリはネタバレありきなのでご注意。  管理人@アキヤマ
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超遅ればせながら8/1に『エヴァ破』観てきました!!


ホントは水曜のレディースディに行こうと思ってたんですが、今週の水曜はお笑いライブを優先させたら時間なくなっちゃったので。。
ファーストディだし、土曜だし、夏休みだしと、混雑が予想されるので事前にネットで予約してたんですが、発券時限切れておじゃんになっちまったので、急遽別のシネマを検索し…

会場がだだっ広いうえに、夜間上映とあって、真中ブロックの上手(かみて=舞台に向かって右)寄りという、好条件の席をゲットできて快適に見れました。
(上手寄りってのは単純に好みの問題。ライブとかでも上手寄りに座ります)
夜間といっても客入りは結構すごかったですけどねーさすがエヴァ!

ちなみに前日にはきっちりブルーレイ版『序』もがっつり観て復習もばっちりだぜ。
DVD特装版も買ってたからブルーレイボックスになってから買おうと思ってたのにガマンできなかったんだぜ…



まず劇場入ってびっくりしたのがコレ↓



初号機がドーン




綾波もドーン




ちっちゃいメタルっぽいのがポツーン、と、鏡に映りこむ人々…そしてあたくし。



上映開始前にパンフをパラ読みしようと思ったら、「映画観たあとに読んでネ!」(勝手な和訳)の注意書きシールでがっちりガードしてあったので、おとなしく指示に従ったであります。
家帰って開けてみたら、中にもまた袋とじがあってびっくり。
これが1000円の正体か!えぇ!?
(前回はたしか700円だったと思う)
ちなみに劇場版ナデシコのパンフはコレの倍くらい厚いパンフで1000円だたよ…
劇場版ウテナはハードカバーで1500円だたよ…
(そして同時上映のアキハバラ電脳組はCD付で1500円。中学生にはきつい出費だったぜ)





以降は激しくネタバレです。



上映開始直後、まだ目が大スクリーンに慣れてないなか、いっきなり英語(ドイツ語?)音声&日本語字幕に度肝を抜かれつつ、『破』スタート。



ストーリー

前作の『序』は、オリジナル要素も付け足されていたものの、テレビシリーズの焼き直し&カット部分補正にエピソード付け足しという感じだったのに対し、『破』は初っ端からがんがんオリジナル展開で飛ばしまくり。
まずはそこに驚きましたね。
オリジナルキャラであるマリがいよいよ登場ってことで、ストーリーはかなりいじくるんだろうな~とは思っていたものの、ここまで作り変えてくるとは思いませんでした。

そしてなにより驚いたのが、恐ろしく違和感を感じなかったこと。

ガンダムしかり、グレンラガンしかり、総集編劇場版てのはどうしてもテレビ版から削られたエピソードの部分にさしあたってくると、違和感を覚えます。
エヴァのテレビシリーズはそれこそ気持ち悪いくらいの数を通し見してて、セリフの一つ一つもかなり鮮明に頭に入っているのに、この『破』は純粋にまっさらな気持ちで観ることができた。
もちろん、先の展開が予想できてしまうわけだけど、それもまた巧妙というか…
次に訪れる「絶望」や「破滅」を知っている、だからこそ今このときの「希望」自体が儚いものだと察し、切なくなる。
綾波レイの存在はなんともいえなかった。
テレビシリーズに比べて、「人間らしい感情」が非常にダイレクトに、そして緻密に描かれている。
視聴者は、綾波レイが変化すればするほど、後にくる別れを想像して、いたたまれなくなる。
このへんのロジックというか、トリックというか、秀逸すぎて涙が止まらなかった。
しかもコレをまた大どんでん返しする辺り、憎い。憎すぎる。

テレビ版と比較すると、劇場版は全体的にわかりやすくなったなぁ、という印象が強いです。
テレビ版は複雑に暗号化されていて、その暗号解読こそが面白みに発展していて、受取側によって様々な解釈が生まれていたけど、劇場版は非常にシンプルな信号で、ダイナミックに発信しているなぁ、と。
だから、あの複雑怪奇な暗号がなければエヴァじゃない!っていう懐古ファンには非常に物足りないシロモノなのかもしれないけど、初めてエヴァを観る人には良いんじゃないかな?
私はテレビ版もほぼリアルタイムで観てたクチだけど、全体の構成とかは新劇場版のほうが良い!と素直に感じました。
といっても、まだストーリー的には折りかえし地点なので、あくまで『破』までの評価ですけどね。




キャラクター

先述したように、綾波の変化はかなり大きかったですね!
人間味が増したってのも大きいけど、なんというか、全体的にかわいくなってますね。
「良い子じゃぁぁないか!」と。
うん、ほんと「いい子だなぁ~…なんていい子なんだ綾波…かわいじゃないかくそぅ・・・」と終始思ってました。
初めて綾波にもえたぜ・・・
特に、参号機実験の失敗を諜報部?に報告受けて愕然とする演出は神でした。
あー、あと、シンジのウォークマンを身につけてる辺りも色々と憎らしかったですね。
綾波はもちろんゲンドウのことも好きなんだろうし、それとは違うベクトルでシンジのことも好きで、「だからこの二人に仲良くなってほしい」っていう感情の帰結に至ったっていうのは、『破』の最大の見所であったと思うのです。
テレビ版だと、「シンジ=ゲンドウの息子」っていう枠から出てない気がしたし、その枠が突破されたのって、綾波の自爆辺りだと思うのですが、折角シンジに対する感情を自覚した辺りで死んじゃうというのがもう、とにかく悲惨だったわけですよね…。



アスカはちょっと大人っぽくなったかなー、と。
いわゆる『大人』じゃないんだけど、ガキくささというか、思春期故の言動ってのが薄くなってるように受けました。
だから「大人」「子供」っていうんじゃなくて、「人間性そのもの」がより鮮明になったって感じ、のほうが正しいかな。
アスカとシンジのユニゾンがカットされたのはかなり寂しいですが、それに付随したオリジナルストーリーもなかなかうまいことまとめあげてたので、これはこれでアリかな、と思います。
ただ全体的にアスカに絡んだエピソードは暗い感じですね。
テレビシリーズのようなコミカルな場面ももっと欲しかったかなー。
(コミカルなシーンがカットされたから子供っぽさが薄れたのかな?)
ただそうなると、参号機実験の辺りとのギャップでイマイチになりそうな気もするんですよね。。


新キャラのマリは、色々と予想外でした。
っていうのも、事前にどんなキャラなのか~とかを一切チェックしてなかったので、予告でのイメージしか持ってなかったわけですが、完璧インテリ系キャラだと思ってたんです。
そしたら全然ちげぇじゃねぇか!と。
若干ふしぎちゃんな空気でしたが、これも予想外にエヴァ世界に食い込まれてて、なーんだ結構良い感じじゃん!って感じですかね。
もっと物語に絡んでくるかと思いきや、メインキャラで会話したのはシンジ(と、一応?綾波)だけだったし、最後のほうはシンジと綾波の精神世界に全部持ってかれてて、まぁ影が薄いといえば薄かった。。
いなきゃいないで良いキャラではあったけど。
でも、下手に出張りすぎず、按配としては良かったんじゃなかろうかと。
3部での活躍があるかどうか、が肝ですね。
もし3部での活躍なかったら正直、いらなかったかなーってなりそう。
その分、もう少しアスカにスポットあててやれよ、とね。


シンジはほとんどテレビ版と印象変わらなかったかな?
より解りやすくなってたけど、テレビ版で私が感じたシンジ像と、食い違いみたいなのはなかったです。
ただやっぱり最後は衝撃でしたね。
最後、綾波を助けようとするシンジは、いわゆる王道的な「主人公」って感じで意外でした。
シンジって、いわゆる「主人公らしさ」っていうのが皆無だったじゃぁ、ないですか。
『破』では結構ガンコなところが前面に出てて、行動自体は主人公らしくないんだけど、意思というかその根底にある芯みたいなのには、主人公らしい男気みたいなもんを感じれました。
参号機大破後の行動とかも、テレビ版とほとんど同じなのに、テレビ版ほどの痛々しさは感じなかったな。





映像とか演出とか

映像美は当然、相変わらずすごかったんですが、演出面ではかなりコンセプトが変わったかな?という印象を受けました。
っていうのも、エヴァってそもそも、『王道的なロボットアニメ』みたいなことをほっとんどやってなかったわけですよね。
だからこそのエヴァブーム到来があったわけだけど。
それは前作『序』も同じことがいえると思うのですが、『破』に関しては結構『王道的手法』みたいなのも感じられたのです。
例えば、弐号機の登場シーン。
機体が出てきてドッバーン!ババーン!どうだ!見ろ!スゲーダロ!みたいな。
とりあえず最近のガンダムでは絶対やってるアレね。(昔のやつはそうでもない)
魔法少女ものでいうなら変身シーンとか、ヒーローものでいうなら必殺技繰り出すシーンとか、お決まりのキメポーズをバーンとみせるような。
そういった王道パターンみたいなのの片鱗を垣間見たのです。

「視覚的に格好良さを魅せる」っていうのは、実はエヴァではあまり見受けられない手法だったかと思う。
テレビ版の弐号機初登場だって横たわったまんまだったし、その後の戦闘も悪戦苦闘しつつで、『破』のようなカッチョイイ登場シーンではなかった。
エヴァのカッチョ良さっていうと、プロの声優による質の高い演技と、映像と絶妙にリンクさせたBGM、全体でかもしだす雰囲気ってのが主立ってたと思うので、正直こういう魅せ方をしてきたことが意外で、更に、ただの王道パターンではなく、あくまで従来の『エヴァの魅せ方』の中で王道パターンの技法を持ってきたって感じなので、まぁ、真意はどうあれ称賛ものだと思います。

ただ個人的に、「翼をください」は、はっきり言ってナイ!!
ボロ泣きしてたのに、いっきにドン引きしたお…。

マリでも似たような演出してたし、さすがに2回目はきつい。
選曲も絶妙にマッチしてないし、なぜいきなりこういうことやり出しちゃうかなー。
王道っちゃ王道なんだけど、こればっかりはエヴァ的ではなかったなー。
これで曲がクラシック系だったら神だったのになー。
せめてヴォーカルが別の誰かだったら良かった。
宇多田ヒカルだったらそこまで気にならなかったかもしれないけど、いいかげん林原に歌わすのヤメロと言いたいね。
プロデューサーが変わらない限りムリなんだろうけど。




全体的に

鶴巻監督が、パンフのインタビューで「庵野総監督のアニメの作り方」について言っていて、「あぁ、なるほどやっぱりね」って思ったのですが、
庵野さんは、始まりから終わりまでをきっちり構成しているわけじゃなく、その場その場で「イイ」と思ったほうへ方向転換していく、らしいのです。
それは、テレビ版エヴァの24話以降辺りを思えば、「なるほど」といわざるを得ないんじゃないかと。
私は、あの最終回は庵野さんの『逃げ』だと思っているんです。
物語を終わらせることから逃げ、主人公の心の帰結を重んじた結果だと。
まぁ、結局それで劇場版への延長戦へなだれ込むわけですが、それでも結局シンジは帰結しきれてなかったわけで。
結局、「エヴァに乗らないシンジ」という可能性は打ち砕かれてたわけで。
だからこそ私は、「エヴァに乗ったうえで」ストーリーを完結させてほしかったし、そのなかでキャラクター個々の心の帰結もきちんとやってほしかった。

新劇場版で、そのへんをどうまとめてくるのかはわかりませんが、少なくとも当時と同じように行き当たりばったりでどうにかしようということはないんじゃないかなー、とは思ってます。さすがにね。
まぁ、あくまでそれは私の最低限の期待です。
今回は監督が二人で、庵野さんは総監督にまわってるわけだし、ね。

そして今回、キャラの変化や、ストーリーの分岐を観ていて、「懺悔のようだ」、と非常に強く感じました。
一人一人をすごく丁寧に扱っていて、ただドン底に突き落とすだけではなく、それこそ「三歩進んで二歩下がる」ような状態なんだけど。
きちんと「前へ進める道を与えている」という感じがして、そこにスタッフの愛を感じたわけです。
テレビ版の終盤も、劇場版も、ストーリー的には残酷なだけって感じられたのでね。
でも次回でまた突き落とすかもしんないけど…







で、次回予告。



スクリーンにもこんな↑のがデカデカと表示され、劇場のあちこちから
「Q…」「Qだって…」「Qだよ、Q」などのヒソヒソ声が万延。

ウン、わかってる。見りゃわかる。

いやー、なんというか。これは予想外だわ。

なんにしても楽しみです。
3部と4部は同時上映らしいので(っていっても、あっさり変更もありうるけど)
実質、あと1回で終了予定です。
この『破』も、当初の予定よりもだいぶ遅れての公開でしたが、そんなの気にしません。
こうなったらトコトン納得いくまで作っちゃっていただきたい。3年でも4年でも待ちまっせ。

ただその間にDVDやBDの乱発はやめてくださいね…。




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